シングルマザー・安室奈美恵さんから学ぶ 子育てと仕事と自分の「最適化」模索法

家族関係や仕事や育児…そのなかで起こるさまざまな「問題」のなかで、私たち働く母親は置かれた環境に自分を「最適化」していく必要に、しばしば迫られます。

私が、そんな姿に励まされていた女性のひとりが、安室奈美恵さんです。

 

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目次

安室奈美恵さんが取材を受けたイギリスの新聞記事「Comeback queen of J pop」

安室奈美恵さんは、1977年沖縄生まれ。幼いころに両親は離婚し、母親はホステスなどの仕事をしながら安室さんを育てたそう。

沖縄アクターズスクールにも、受講料の問題から、入所を辞退したらしいのですが、特待生として特別に通うことが許され、徒歩1時間半の道のりを歩いて通ったなど、デビュー前から苦労人であったことが知られています。

そんな安室奈美恵さんは、2005年にイギリスの新聞『THE TIMES』の取材を受けています。この記事は、「Comeback queen of J pop」、副題「Japanese pop stars rise high and fade quickly. But Namie Amuro’s return broke the mould(日本のポップスターは高く上がりすぐ消えるが、安室奈美恵の返り咲きはその型を破った)」というタイトルです。

記事では、安室さんのデビュー前から記事執筆当時までの歩みを、公私共に詳しく紹介しています。

安室奈美恵さんのデビューから10年間

安室奈美恵さんのHPとウィキペディアを参照して、デビューから取材時2005年までをざっと紹介すると以下のようになります。

1995年18歳 ソロデビュー 当時女性ソロシンガー最年少で日本を代表する歌番組「紅白歌合戦」出場

1996年19歳 AL「SWEET 19 BLUES」初回出荷枚数305万枚 アムラー現象

1997年20歳 SG「CAN YOU CELEBRATE?」がダブルミリオン TRFのダンサー・SAMと結婚

1998年21歳 出産 1年間の育児休業 紅白歌合戦で復帰

1999年22歳 母殺害事件 事件後10日あまりで仕事再開

2000年23歳 九州・沖縄サミット歓迎会で、各国首脳の前で「NEVER END」を歌う

2001年24歳 小室哲哉プロデュースを離れる

2002年25歳 離婚 SG「Wishing On The Same Star」リリース 「SUITE CHIC」参加

2003年26歳 「SUITE CHIC」で「MTV Video Music Awards 2003」”BEST COLLABORATION賞”受賞

2004年27歳 初のアジア単独公演成功

2005年28歳 ピンクパンサーとコラボしたAL『Queen of Hip-Pop』リリース 親権を得る

母の死や離婚をきっかけに、アイドルからアーティストへ飛躍

こう振り返ると、ずっと活躍を続けてこられているようにも見えますが、記事の中ではこのように書かれています。

母殺害事件から離婚にいたるあたりの時期のことです。

※英語部分は記事引用。日本語訳は林原による意訳です。(以下同様)

When her mother was brutally killed by Amuro’s uncle, it seemed unlikely that the starlet would surface again.

(彼女の母親がおじに殺されたとき、その若いスターが再び表舞台に出ることはなさそうに思われた)

安室さん自身はこう言っています。

Even my closest friend said I was finished, but I think I may be a little different from the others.
(親友でさえ私が終わったと言ったけれど、私は自分が他の人達と少し違っているだけなのだと思っていました)

記事は、安室さんと当時のテレビ番組についてこう書いています。

There is an atmosphere of melancholy about Amuro.

(安室には物悲しい雰囲気がある)

Japanese starlets have always made their names by being irrepressibly genki — meaning energetic and vivacious.

(日本人の若手スターたちは、たいてい「元気」をウリにしている)

They are designed to be dumb, pretty and low-risk guests on TV shows.

(彼らはテレビ番組で、おバカで低リスクなゲストになるよう演出されている)

now it seems impossible to associate her with that “bubbly world”.

(今では、彼女をそんな浮かれた世界で取り上げるのは、不可能なように思われた)

そうして、出産と育休の後の悲しい事件から「明るいアイドル」という立場での仕事が減って、一見「終わった」ことが、安室さんの転機になったのです。

安室さんは、アイドルとして多忙を極めていた時期をこう振り返ります。

When I was snowed under with the work of an idol, I didn’t have time to think. I never had the chance to consider what or how I wanted to be.”

(アイドルとしての仕事の雪に埋もれそうだったとき、私には考える時間がありませんでした。私は、私が何をしたいか、どうしたいかをじっくりと考える機会もなかったのです)

そうして、考えた結果が……

I came back to do a live concert. Nobody had done that before and I know my managers were worried. I stopped caring what people thought. I just wanted to sing again.

(私はライブに戻ることにしました。そんな前例はなくて、マネージャーには心配をかけました。私は、みんながどう思うかを気にするのをやめました。私はただ、また歌いたかったのです。)

記事は以下のように続きます。

Amuro asserts that what has happened is a jump from idol to artist:“I write songs now, I plan concerts. When I was younger, there was a huge gap between what I wanted to do and what I could do as an idol.”
(安室さんは、それがアイドルからアーティストへの転機だったと振り返る。「今、曲を書いていて、コンサートの計画もしています。若かったときは、アイドルとしてできることとやりたいことの間に、大きなギャップがあったんです」)

子育てと仕事の狭間での思い

また、離婚についても、記事では取り上げられています。

Her divorce from Sam four years later has left Amuro again testing the limits of the Japanese system, this time as a single parent.

(4年後のサムとの離婚は、日本の制度に対する再テストとなった。今回はシングルマザーとしてである)

Particularly outrageous, she says, was the criticism by Japanese papers that equated her comeback with the abandonment of her child.

(特にひどかったのは、日本のマスコミが、彼女の離婚を「子供を捨てた」として批判したことだと彼女は言う)

しかし、そのとき安室さんは、こう考えていたそうです。

During my grief, I realized there was nothing I could do for my mother, but I did have a child. I began to think more like a mother myself, and to become positive in my work again
(悲しんでいた間、私は自分の母親のためにできることは何もないことを実感しました。でも、私には子供がいました。私は自分自身を「母親」であると強く捉えることで、仕事に対して再び前向きになれたのです)

I wish I could balance life as an artist and a mother

(アーティストとして、母親として、人生のバランスを取っていきたいと望んでいます)

記事はこう締めくくっています。

You never know whether the fans will be waiting for you. All in all, I’m happy, but we’re groping in the dark.

(ファンが待っていてくれるかはわかりません。暗闇を模索している段階ですが、私は幸せです)

大活躍だと思っていた安室さんが、お子さんの親権を得た2005年には「暗闇を模索」と感じていたのですね。

なお、この翌年2006年には、1997年以降最大規模のアリーナ・ツアー『namie amuro BEST tour -Live Style 2006-』を開催し22万人動員。

2008年のアリーナ・ツアー『namie amuro BEST FICTION TOUR 2008-2009』は、海外を含め4度の追加公演(台湾・上海含め全64公演)を実施。

日本人女性ソロ・アーティスト史上最多動員数となる約50万人を動員したそうです。

その後の活躍は、近年の記憶に残るとおりです。「女子高校生のカリスマアイドル」から、全世代から支持を得る国民的スターへと見事な躍進を遂げられました。

お子さんを大切にする安室流子育て

出典は見つけていないのですが、ネット上で「安室流子育て」として紹介されているルールがあります。

それは以下のようなものです。

· 原則夜6以降は仕事を入れない

· 土日に仕事を入れない

· ライブツアーで長期間、家を開けたときは、その後、息子としばらく旅に出る

· 弁当は作る

· 学校の送迎はする

· 子供のやりたいことを全力で応援する

超多忙で仕事ができる安室さんが、こうしたライフスタイルを目指していたのは、実は意外でした。正直なところ、てっきり、ベビーシッターを何人も雇って、朝から晩まで働いていてらっしゃるのだと思っていたからです。

そうか、安室さんでも、夜は仕事をしないのか、お弁当は作るのか……

ならば、そこまでの影響力でも、仕事量でもなければ、仕事ができるわけでもない私はどうなの? と自分を省みるきっかけとなりました。

自分なりの方法を模索し、やりたいことをやって、充実した人生を

安室さんのワークスタイルや仕事の仕方には、一般のワーキングマザーにとっても参考になる部分が多いと、私は感じています。

まずは、自分がどうありたいのか、やりたいことは何かをじっくりと考える時間が必要だということ。

また、限られた環境下(テレビで使いづらい、子育てで時間の融通がつきにくい)でも、そのとき主流な方法(昔ならテレビ中心のプロモーション、今ならSNSなどでプライベートを出していく)に追随しなくても、自分がやりたいこと(歌とダンス)をやる、自分なりの方法(ライブ)を見つけることで、道が開けるという希望が見えてきます。

そして、やりたいことをやって自分独自の色を出すこと、それを商品やサービスの付加価値につなげることで、「稼ぐ(=顧客の幸せに貢献する)」と「子育て(家族の幸せに貢献する)」との両立は可能だと、教えてくれます。

これまで、プライベートのゴタゴタを乗り越え、アーティストとして活躍する安室さんに、私自身、強く励まされておりました。

引退を表明した安室奈美恵さんが、これからも、充実した幸せな人生を歩まれることをお祈りしております。

参照

安室奈美恵HP
THE TIMES「Comeback queen of J pop」
ウィキペディア「安室奈美恵」

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たくさんの友達が放課後遊びにくるとウキウキしている娘のために、バナナケーキをやいておきました

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