【3人娘をモチーフにつくっていただいた創作和菓子「3匹のこぶた」】
我が家の長女と次女は不登校を経験しています。これまでも不登校への考えや娘たちの様子をこのブログで紹介してきました。この春、長女と次女がそろって社会人になったということで、これまでのご報告をさせていただきます。
長女高校2年、次女中学3年の様子
このブログは長女が高校2年生、次女が中学3年生のとき書いたものです。二人の不登校と親である私の葛藤や乗り越えた考え方をご紹介しました。
その後、次女も中学校を卒業。
この記事では、不登校を経験した二人の娘のその後をご紹介します。
大学で建築を学んだ長女
長女のその後談です。長女は高校3年間、不登校になることはなく、吹奏楽部と受験を頑張り、地元の大学に進学しました。
大学受験時には小論文の指導を学習塾で受けて臨みました。高校受験の不登校で習っていなかった部分の夏期講習でもお世話になった「塾選び富山」さんのご紹介です。
大学受験体験記はこちら↓↓↓
大学では、建築デザインを専攻。この選択には、不登校のとき「知り合いがいない場所」と連れられた射水市立下村図書館でくつろいだ経験がつながっていました。
建物がもつ人を癒す力を実感し、人が集い笑顔になる場を作りたい…とホールなどの大型建築物を作ることにあこがれを持っていました。
尊敬する建築家は隈研吾さん。
その後、大学では、萩野紀一郎准教授に師事。能登・輪島をベースに学習・研究を続けていました。
そんなときに能登半島地震。
研究題材としていた輪島の朝市通りが焼失するというショッキングな出来事がありましたが、卒業制作を終えて無事卒業しました。
そして旅立ち。
長女は東京で就職!
そんな長女の就職先は東京です。
以前の志を貫き「みんなが集い笑顔になる空間」をデザインする仕事です。
先日ゴールデンウィークの前半に、次女・三女と一緒に様子を見にいってきました。
現在、やりがいをもってお勤めしている様子です。
高校で挫折も、N高で優等生になった次女
一方、次女。次女は幼いころからイラストやアートに興味をもち、小学校高学年からはデジタルイラストに熱中するように。そうした関心を伸ばそうと、高校ではデザイン科を志しました。
高校受験では第一希望の公立高校のデザイン科に不合格。私立の高校のデザイン科に進みました。※不登校児は内申点が下がるため、公立高校の受験は不利だといわれているようです。
入学した高校では成績がよく、2学年からの大学進学コース変更を進められました。しかし、進路相談の際にかなり屈辱的な言葉が教師から出てきたこと、不祥事の噂?などゴタコタしていたこともあり、再び学校不信に。
そこで、登校の負担が少ない通信制高校への転校を考えるようになり、いろいろな学校を比較検討した結果、N高等学校に転校することにしました。
N高等学校は、通学は年数回のスクーリングのみ。通常授業は動画配信です。
面白い特徴としては、さまざまな部活動(「投資部」なども)や特別授業が催され、自分の関心のある分野を深く学べることでした。最低限の高校卒業単位を取得したい人にも、やりたいことがある人にも対応できるカリキュラムです。
ここで次女は美術部に所属。イベントを主催するなど積極的にかかわり、仲の良い友人や後輩もできました。
驚いたのは、次女への評価が大きく変わったことです。
これまでは「コミュニケーションが苦手」「登校しないということは学習意欲が低い」とされてきた次女は、N高でリーダーシップを発揮するようになり、「提出物の締め切りは完璧、テストの点数もよい」と先生からべた褒めの優等生となりました。
ちなみに、当社「林原商店」のロゴマークは次女が高校生のときに作ったものです。
専門学校でデザインとイラストを磨きイラストレーター活動開始
N高卒業後はデザイン専門学校に通った次女。ここでもコツコツ真面目な性質が評価され、成績はいつも良好でした。
コンペなどにも仲間たちと参加。
卒業制作も見事でした(親ばかお許しを)。
高校生のころから動画制作やイラスト販売で収入を得ている次女は、専門学校在学中からフリーのイラストレーターとしても活動を始めました。
こんな2年間の専門学校生活を終えて、次女も無事卒業しました。
卒業式の後、「適応指導教室の先生に報告したい」とご挨拶に伺いました。
先生もとても喜んでくださいました。
信頼できる教師との出会いは本当に幸運でした。先生、ありがごとうございます。
次女は正社員プログラマーと副業イラストレーター
こんな次女の選んだ仕事は、プログラマーです。
富山の自然豊かな環境が大好きということで、勤務地は富山市内。就職活動の際はイラストの副業ができることを条件とし、将来的には在宅勤務もOKという職場を探しました。
苦手意識のある対人コミュニケーションは、富山新卒応援ハローワークをおたずねしご相談。
面接の練習のほか、就職先がなかなか決まらないときは励ましていただくなど、親身になっていただいたと伺っています。この場を借りてお礼申し上げます。
こうした自分の性質と求めるライフスタイル・仕事内容を考慮した就職活動をコツコツ続け、そんな次女をよいと言ってくださる企業に出会うことができました。
今は教えてもらうことばかり、覚えることばかり、とのことですが、現状ホワイトで人もよい環境のよう。この調子でうまくやっていけるといいなと祈るばかりです。
何がプラスになるかはあとになってから分かる
不登校を経験した娘二人の就職活動を横でみていて気が付いたこと。
それは、図らずも、不登校の経験がプラスに働いていることでした。
進路選びには(長女の建築への興味、次女のイラスト・デザイン・PCでの仕事)など、不登校中に興味を向けた事柄が大きく影響しています。
また、エントリーシートなど応募書類を書くときに、「自分ならではの経験」「自分の考え方」「挫折を乗り越えた経験」などを考えるわけですが、そのときにネタやエピソード、「考えたこと」が不登校の経験を通じて、しっかりあるのです。
反対に、順風満帆に過ごしてきた友達は、やりたいことがない、書くことがない……と悩んでいたとか。
子供たちのどんな経験がプラスに働くかはのちのちになってみないとわからないものです。
もし、今、お子さんが不登校だったとしても、親まで一緒に絶望しないようにしましょう。
外国の若者には当たり前に用意されている「立ち止まって考える時期」や必要な通過点かもしれません。
長女次女の不登校中、たくさんの方々のお世話になりました。無事、社会人をなったことをここにご報告いたします。本当にありがとうございました!
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