高3長女が大学合格の通知をいただきました。長女は中学のとき、不登校を経験しています。当時はクラクラするくらい、どうしていいのかわかりませんでした。しかし、今では「必要な通過点」だった心から思います。
初めての不登校で母としての自信を失った私
我が家の高3長女は、中学1年生の5月から翌年3月まで、中学校に通わない、いわゆる「不登校」でした。
小学校ではクラス委員やリレーの選手を務めるような元気なタイプで、学校大好きだった娘。まさか、中学校で学校にいけなくなるとは、まったく考えていませんでした。
長女は頭や腹が痛いと訴え、布団からも出られないと自分を責め、泣いて震えていました。
当時、不登校に関する知識がなかった私は、変わってしまった長女にどう対応していいのかわかりませんでした。
おまけに、当時の私の仕事は、育児情報誌の編集長だったため、「自分の子育てに『失敗』した私が、人の育児にあれこれいう資格があるのか」とも悩みました。
また、「お母さんがずっと働いているから不登校になったのね」といった悪意のないアドバイスにもイチイチ傷ついてしました。
自分を責めた私は、編集長を退き退職する道を選びました。
視野を広げれば落ち込む必要はなかった
生きる道はたくさんある
しかし、今では、不登校で娘の将来に絶望したり、自分を責める必要はなかったと感じます。
なぜなら、日本の学校のシステムが、全ての子どもたちに合うものではないと知ったからです。
例えば、デンマークでは学校ではなく家で勉強することが認められています。だから「不登校」はありますが「不登校問題」はありません。
アメリカでも家で教育を受ける「ホームスクーリング」が認められています。
つまり、日本の了見が狭いから、合わない子たちが苦労するだけ。グローバルな視点でみれば、子どもたちは奇妙なことを何も言っていないのです。
そんな日本にいるしかないとしても、通学して高偏差値を目指すこと以外にも生きる道はたくさんあると、私の周りの大人の皆さんをみていてつくづく感じます。
学びたければ情報は溢れていますし、高卒・大卒資格は通信教育でも取得可能です。
今はITを駆使して個人で稼ぐことも、以前に比べ簡単になりました。
「通学したくなければ、しなくても大丈夫だよ」
と昔の私に教えてあげたいとつくづく思います。
要望を言えるのはいいこと
「自分が仕事ばかりしていたせいで不登校になったのでは」と自分を責めたことも、今では間違いだったと思います。
母である私が「子供が自分の思いや要望を伝えられる相手」であったこと、子供が「自分の頭で考え、自分なりの考えをもち、意思を表明できた」ことは、むしろいいことだった?と感じるくらいです。
無理し続けたり、何も考えずに周りに合わせ続け、あとから決定的な大問題がおこるより、よっぽど良かったと感じています。
立ち止まって考える時間は必要
日本では、同じ年に生まれた子供が、トコロテンのように一斉に押し出されて、進級・進学します。
しかし、デンマークなど欧米では高校卒業後に「ギャップイヤー」という、進学も就職もしない猶予期間をとることが珍しくありません。日本だと「フリーター」といわれる立場ですね。
デンマークでは「高校生になるのはまだ早い」と感じたら、中学3年生を2回(つまり2年間中3)過ごすこともできます。
いずれも、自分自身を見つめ直し、価値観や嗜好、目指す道を固める時間として、「若いって、そういう時間が必要な時期」と社会から認められています。
親も子供と一緒に成長
娘が不登校で過ごした約1年間は、まさにギャップイヤーのような時間でした。
適応指導教室の先生方と語ったり、県外在住の大人を含むさまざまな価値観の人と交流したり、自分の好きなものに徹夜で打ち込んだり、私に胸の内を1時間も2時間もうちあけたり…濃い関わりをもち、たくさんのことを考えていました。
長女は学校に通うと自分で決めてから、勉強に部活に趣味にと、学校生活に積極的に過ごすようになりました。
受験では、不合格の通知もいくつかいただきましたが「もしも全滅だったとしても、学校に行かずアレをやろう」などと笑って語れたのも不登校の間の経験が生きていたと思います。
今では私も娘も、不登校が必要な時間だったと捉えています。
人生は通過点の積み重ね。迷ったときは立ち止まってもいいと思いませんか。それは、子供にとってだって同じことです。
親にも、相手の可能性を信じる力(コーチングでは「コーチングマインド」といいます)やじっくり見守る忍耐力が求められます。
私自身も、娘の不登校によって視野が広がり、成長させてもらいました。
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