先日、贈り物にショコラ・ボンボンを作って持っていったところ、毎日の弁当づくりのことも引き合いに「女子力が高い」とお褒めいただきました。そのときもったちょっとした違和感。弁当やチョコをつくるのは、「女子力」からなのでしょうか。
「女子力高い」とはなんぞや
先日、お邪魔したお祝い飲み会に、お祝い兼差し入れとして、ショコラ・ボンボンを作って持参しました。
それを開いたとき、いただいたことばが
「林原さん、いつもお弁当も美味しそう。女子力が高いね!」
このとき、「どうも、どうも」と頭を下げつつも、なんとなく違和感を抱きました。
また、以前、ランニングの練習会に参加したとき、男性参加者全員が甘いお菓子(手作りを含む)を差し入れしたことと思い出しました。
このとき手ぶらの女性参加者からは
「みんな女子力、高~い」
と歓声が上がりました。
ここで気になったのが、
「女子力」とは何ぞや?? お土産をもってきてくれた男性は、単に「気配りのきいたジェントルマン」なのでは??
という疑問でした。
「女子力」は「女性らしさ」を重んじること?
「女子力」という言葉は、2009年の新語・流行語大賞にノミネートされており、使われるようになって10年ほどの言葉です。
「女子」とは、言わずとしれた「女の子」あるいは「女性」を指します。
では「女子力」は?というと、goo辞書によれば
「女性が自らの生き方を向上させる力。また、女性が自分の存在を示す力。」
とのこと。さらに
「明確な定義はなく、女性らしい態度や容姿を重んじること、女性ならではの感覚・能力を生活や職業に生かすことなど、さまざまな解釈で用いられる。」
と補足しています。
使用シーンによっても「女子力」という言葉は意味が異なり、多岐に渡ります。褒め言葉であると言われたり、いや嫌味だよと言われたり。
ただ、使われるシーンから考えるに、
「料理がうまい」
「化粧がうまい」
「ファッションセンスがよい」
「ヘアスタイルやネイルなどがきれい」
「清潔感がある(身だしなみに気を配っている)」
「整理整頓ができる」
「気配り上手」
…といったところでしょうか。あとは、こうした能力をあげる「自分磨き」に熱心なこととか。
場合によっては、「男性ウケを狙う努力」のようにも使われます(宴会でサラダを取り分けたり、焼き鳥を串から外したりする行為を皮肉るときなど)。
これが私の違和感の正体です。
なぜなら、すっぴん時間が多く(スキマ時間にトレーニングするから)、服も靴も数少なく、美容院には数年いっておらず(ヘアドネーション目指しています)、ネイルは甘皮処理程度、整理整頓はゆるゆるで、気は使っても空気は読まない私。「男ウケ」からはかなり遠いところにいます。
そんな私が「女子力高い」の言葉に、違和感を持ったのは、無理からぬところと申せましょう。
ちなみにここで並んだ「女子力」は、女性だけに限った「生き方向上力」ではないと思われます(身だしなみとか、整理整頓など、男性もできないとね)。
「高収入」とか「論理的」とか「マネーリテラシーが高い」とか「論語に詳しい」いった分野の「生き方を向上させる力」は、「女子力」とは評価されないことから考えると、おそらくは「いわゆる『女性に期待される』素養が高い」ということなのでしょう。
料理のスキルは「女子力」というより「包容力」?
「女子力?? なんか合わないような…」と戸惑った私の違和感は、家族も同様でした。
「手作りチョコを持参したら『女子力が高い』と褒められた」というエピソードを娘たちに話したところ、娘たちは苦笑い。
「お母さんは『女子力』より『男前』のほうが合うなあ」
「お母さんの料理の腕は、『女子力』よりも『包容力』やろ」
と口々に言います。女子力、全否定(笑)。
ちなみに、これらの単語の意味を辞書で確認すると……
「男前」とは、「 男気があること」で「男気」とは「弱い者が苦しんでいるのを見のがせない気性」。
「包容力」とは、「過ちや欠点なども含め、相手のさまざまな点を受け入れることができる心の広さ」とか「種々雑多な相手を広く理解して受け入れる能力」
なるほど、子どもたちは、幼いときから食べている私の料理やお菓子から、こんなイメージを受け取っていたのですね……私の食卓に込めた思いが、伝わっているのを感じました。
どういうことかというと、私は、家庭で食べ物を整えることを「兵站(へいたん)」のような活動だと考えてきたからです。
食べ物で心身にパワーを生むスキルは「生存能力」
「兵站」とは、前線で戦う部隊のために、軍需品や食糧、馬などを補給したり、後方部隊との連絡経路を確保する業務のこと。
私たちは、自分の知力や体力を利用した、人生という「戦い」に明け暮れています。
人生に勝ち負けはありませんが、自分なりのベストは目指してさまざまな活動をしています。そんな中、体力は使うし、気力がなえることもあることでしょう。
そうした心身の疲れを回復させ、活動できる元気のもととなるが、家庭における「食」の役割。
これが、私が食事づくりを「兵站」に例える理由です。
つまり、私は、家庭で食べ物を適切に整えるスキルは、人生の生存能力、サバイバルスキルだと考えています。
こんな考え方をしているので、家族には「料理がうまい」と言われますが、「カフェが開けそう」といった華やかなイメージではなく、「無人島でも美味しいものを作ってくれそう」といったところ。
【イタリアに旅しても、食材を買い出しし、キッチンを借りて食事づくり】
働く母親にとって、栄養があって美味しいご飯を短時間で整えられる兵站的スキルは、子供の健やかな成長や自身と家族の健康を守るためのみならず、自身の仕事を続けたり、自分の時間を確保したりできるか否かに関わる一大事です。
私が作る料理やお菓子は、簡単、経済的、手間をかけずに、栄養豊富で美味しいことを目指しています。
手間暇や見栄え、貴重な素材が高価格につながる飲食店の料理とは別ものです(そういう料理のは、外で楽しむものと割り切っています)。
【運動会のお弁当も、いつも食べている、普通のおかず】
「食」を整え英気を養う力は、「女子力」やら「男の料理」やらと、男女うんぬん仕分けて考えるのではなく、生きる力として誰もが身につけていたいスキルではないでしょうか。
ちなみに、先に紹介した手作りお菓子(オリーブオイルを使ったクッキー)を持参した男性にその理由を伺ったことろ、
「同じ食べるなら、ヘルシーなお菓子がいいかと思って」
とのこと。「体にいいものを食べてもらいたい」の気持ちに、女子力とか男子力とかないよね。とつくづく感じた次第です。
なお、私が弁当やお菓子の写真をブログやSNSでアップするのも、
「自分と家族の心身にいい料理は、安い材料で簡単にできることをお伝えしたいから!」
が一番です。※ほかにも大きい理由がありますが、それはまた別の機会に。
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ここだけに掲載している林原りかの「自分史的自己紹介」をお届け後、言葉やブランディングで、ビジネスと人生を充実させるヒントをお伝えしています。返信もOK!