「学習支援センター(適応指導教室)ってどんなところですか」というご質問をいただきました。娘2人が中学生時代に適応指導教室に通った私の経験からお答えします。他の地域と異なるところもあると思いますが、参考になれば。
学習支援センター(適応指導教室)は教育委員会が運営
学習支援センター(適応指導教室)は、登校拒否の児童や生徒に対する指導を行う目的で、教育委員会が学校以外の場所に開設しています。
子供の在籍する学校と連携して、教師が教科指導やメンタルのケアにあたります。通った日は、出席扱いになるところが、ほかの不登校対応施設との違いです。
不登校対応の場ですが、原因が発達障害の場合など、受け入れられないケースがあると聞いたことがあります(詳細は各市町村でご確認ください)。
また、子供のほうでも「先生がいて勉強ばかりで、学校と変わらない」と拒否反応がでて通えない子もいるようでした。
我が家は、2014年に中1長女が不登校になり、2019年に中3次女が卒業するまで、約5年間、適応指導教室(学習支援センター)にお世話になりました。
まずは見学から
長女が不登校になったとき、在籍校への通学は苦痛でしたが、学習意欲はあり高校進学を希望していました。
子供の「居場所」を標榜する施設も体験利用してみましたが「遊んでばかりで勉強ができない」と興味を示さず、ならばと適応指導教室を考えました。
最初は電話で問い合せ、母である私だけで見学し、先生とお話しました。
先生方の優しそうな雰囲気や、熱血で有名だった顔見知りの先生もいらしたことから、娘にとって良い場と時間になりそうだと判断。次は娘を連れていきました。娘も大丈夫そうだったので、通うことに決めました。
私は適応指導教室に直接連絡しましたが、同じ教育委員会の管轄ということで、在学校に希望を伝えてもOKです。
ただ、学校によっては、嫌がられるとも聞いたことがあります。
在学校に報告し登校スタイルを決定
娘が適応指導教室への通学を希望していることを学校に報告しました。ここで必要となるのは、申込書類を書くことくらいだったかと記憶しています。
また、子供とも相談して、どの程度の時間・頻度で通うか決めます。
我が家では、長女は「心が疲れる」とのことで午前9時から12時までの短時間登校。昼ごはんは私と一緒に自宅で食べていました。
次女は8時45分から15時までフルタイム登校です。気が合う友達ができ、昼ごはんも楽しいとと話していました。
給食はなく、弁当持参です。コンビニ弁当の子もいました。
1日のスケジュール
基本的には、学校のサテライト教室のようなものなのです。時間割に沿って、毎日授業を受けます。
娘の通っていた教室は、先生3人が在籍。「国語・社会」「数学・理科」「英語」と担当なさっていました。3人で小学生・中学生を寺子屋のように教えます。
水曜日午前中には近くの体育館にタクシーで移動し、体育がおこなわれました。たまに、みんなで昼ごはんをつくる日もあります。
12時から13時は昼休みです。
子供たちは登校下校とも時間はバラバラで、休み休み来る子もいます。また、体調や心がしんどいときは、保健室ベッドで休んだり、ひとりになることもできます。
卓球台や本、楽器やジグソーパズルなどがあるプレイルームもあり、思い思いの時間を過ごすこともあるようでした。
学校との連携
教育委員会が運営ということで、在籍校と連携して指導がされます。指導のゴール(目的)は「子供たちが無理なく学校に復帰する」ことです。
私が学校に伝えたこと、教室に伝えたことは、それぞれ報告しあい、指導も連携と報告がなされていました。
テスト日程などの行事日程は適応教室でも把握されており、テストは学校に行って受けていました。
長女の学年主任の先生は理科の先生で、「理科の楽しさは実験! 実験教室をやります」と長女を誘ってくださったことがあります。
他の子がいる時間帯は学校にいけないという長女のために、19時ころから開催してくださいました。
玄関や理科室までの廊下には、先生方がいらっしゃり、笑顔でご挨拶。きっと「学校は怖いところじゃない」と、娘に感じてほしくてのご配慮だったと拝察します。
こうした学校側の取り組みは教室の先生方も把握し、行けるなら行ってみては?と勧めてくださいました。
不登校期間の長かった次女は、職業体験や修学旅行などの行事には、担任の先生からの強い誘いもあり、参加していました(2・3年の先生のことを信頼しており、断って悲しい顔をされるのがイヤだったそう)。
このように、適応指導教室に通っても学校と無縁になるわけではなく、学校にも関わりながら過ごしていました。
受験対策
長女・次女ともに、行きたくないのは「地元の中学校」だけであり、小学校は好きでしたし、高校には夢と期待を抱いていました。
というわけで、学力を上げて希望する学校に進学する意欲を持っておりました。
そのため、授業は真面目に受けていました。少人数で教えていただけるため、分からないところが伝えやすいこともあり、授業の内容は理解しやすいようでした。
勉強は真面目にしていたので、試験の点数の順位は学年でも中の上くらいをキープしていました。
しかし、通知表の成績は「1」とか「2」から上がりません。「学校で」授業を受けていないことが「学習意欲がない」と評価され、「3」以上はつけられないと説明を受けました。
学習意欲がないわけない!と不満でしたが、評価のモノサシはその「行きたくない状態の学校」ですから、しかたないところもあります。
推測ではありますが、内申書の対象となる2・3年も不登校だった次女は、受験に際してはマイナス評価が大きかったのではないかと思います。
親子に合わせた温かい対応
学習指導に加え、ありがたかったのは、子供たちへの対応です。
適応指導教室の先生方は人数が少ないこと、いろんな事情を抱えた子たちであることからか、子供の考えを尊重し、子供たちのペースでさまざまな指導が進められていた印象です。
普通の学校でも、このような姿勢で指導がなされれば不登校も減るような気がします。先生方にもっとゆとりがあれば……と思わずにはいられません。
母親である私に対しても、「お母さんが悪いわけではない」という安心感を与えてくださいました。
不登校児の母は、仕事を辞めたり、夫や姑などに母親が悪いと責められるなどし、自分を責めて心の病に陥る方も多いそうです。そのような状態にならないように、気遣ってくださっていたのを感じます。
仕事の都合で送迎時間を変えなくてはならないときも、早出や時間延長で受け入れてくださるなどの対応をしてくださいました。
卒業のときには、記念品や寄せ書きなどもご用意くださり、学校に通っていた生徒に引けを取らない温かい卒業式を迎えることができました。
高校生になってから
長女も次女も、高校には通い続けています。
長女の適応指導教室の先生のひとりは、中学2年生から登校を再開してから昨年までの4年間、おりにつけて絵葉書を送って励ましの言葉を送ってくださいました。
長女は高校生になってからも、平日に学校が休みの日はたまに適応指導教室に立ち寄ることがありました。
次女は、卒業するときに「高校に行っても何か辛いことがあれば連絡していいんだからね」と送りだされました。
連絡をすることは今のことろありませんが、今も適応指導教室の先生方を深く信頼しています。
また、適応教室で出会った年上の女の子を「〇〇先輩」と呼んで慕い、今もLINEやTwitterで交流を続けています。
ふたりとも、不登校になった自分に戸惑い悩み、適応指導教室に通った時間を「かけがえのないもの」と捉えています。
今も、疲れたときに思い出す心の基地のような、隠れ家のような存在なのだと思います。
先生方の能力と人間性がカギ
以上が、私が5年間お世話になった適応指導教室(学習支援センター)の様子やエピソードです。
行って良かったと思っていますし、先生方には大変に感謝しております。
ただ、この教室がよい場になるか否かは、担当される先生方の教師としての経験やスキルと、人間性如何に大きく左右されると感じます。
また、合う子、合わない子もいます(通っていた子がこなくなった……という話もよく聞きました)。
そのため、あなたがお住まいの地域の学習支援センターが、お子さんにとっていい場かどうかは、あなたとお子さんが実際に見て確かめる必要があります。
よい出会いがあることをお祈りしています。
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