母親が趣味の集まりのために家を空けるのは、悪いことなのでしょうか。母親は子育て以外の自分の楽しみを諦めなくてはいけないのでしょうか。そんなことを考えさせられる出来事がありました。
「お母さんがいないと寂しい」の破壊力
先日、夜に開催されているトライアスロンの練習会に行こうとしていた時のことです。
「お母さんがいない日のご飯って寂しい?」
と何気なく質問したら、子供達から
「それは寂しいよ」
との回答が。
娘たちが中高生となった今、私が娘たちの帰宅後に数時間(概ね18時から21時あたり、週に1回程度)家を空けることが寂しいと思われているとは、考えていませんでした。
というのは、娘たちはもう自分で食事も作れますし、夕飯の後は勉強をしたり YouTube で動画を見てると各々の時間を過ごしているからです。
私にこれといって用があるわけではありません。眠る時間の前に、私は帰ってきます。
「本当に? みんなそれぞれのことをやっていて、私に用はないよね」
とさらに質問すると
「お母さんの気配がなんとなくあるのがいいんだよ」
とこれまた可愛いことを言います。
ちなみに、私が練習会などの集まりに参加するようになったのは、今年の5月以降のこと。
三女が中学生となって友達との時間や勉強時間が増え、次女は不登校を卒業して休日に友達とも遊びにでかけるようになり、もともと部活三昧だった長女は受験勉強のために休日も外出、平日も自習室に寄って遅く帰るようになっていました。
子供たちも出かけることが多いし、私が出かけるのもいいだろうと考えたのでした。
子供たちが幼い時には寂しく感じることもあるだろうと、早朝の寝ている間や日中の学校や保育園に行ったりしている時間に、練習するようにしていました。
しかし、仲間と一緒にやったほうが、ひとりの練習だけよりは楽しい。上達も早くて、面白くなってきたところでした。
しかし、子供達にまだ「出ていくと寂しい」と言われたことで、自分でも無意識のうちに罪悪感がチクリ。
罪悪感を感じたこと自体が自分でも意外で、子供から出る「寂しい」という言葉の威力にびっくりしました。
同時に、「私は、いつになったら気兼ねなく、仲間と一緒に練習したり、友達と遊んだりできるんだろうか」と私まで寂しくなりました。
そこで感じた疑問があります。
母親が趣味を仲間と楽しんだり、友達と楽しい時を過ごしたりするのは、残悪感を持たなければならないほど、悪いことなのでしょうか。
「仕事」なら仕方ない。ならば「楽しみ」のためは?
そこで、「どうしたら、母親である私も、家族に嫌な思いをさせることなく、練習のために出かけることができるのだろうか」という問題を解こうと、ランニングやスイミングなどの趣味を持っているお母さんやメルマガの会員のみなさまに、先のエピソードを紹介しました。
中には「どうやってできるようになったのか」というお知恵をお持ちの方がいて、よいアドバイスをいただけるかもしれません。
そんな期待をしていましたが、いただくアドバイスや経験談のほとんどは、私にとって意外なものでした。
「そんなにかわいいことをいうのはあと数年。しばらく子供たちと過ごしてあげて」
「少し付き合ってみてはどうですか。あのときお母さんは私に寄り添ってくれたなぁと、大きな力になることでしょう」
「所詮は個人の趣味。私は必要とされている間、子供を最優先してきました」
…そうか、こうなふうに考えていらっしゃるのか。いかに、母親の皆さんが、自分の楽しみよりも子供を優先してきたか、想像できました。
共働き率が高く、仕事のために子供を預けることが多い富山県であっても、母親の楽しみのために子供を預けることは罪悪感を伴うようです。
「トレーニングのため、子供を実家に預けることがありますが、あんまり預けると、また!?と叱られます」
「子供が塾に行っていっている間に走ったり、朝練をしていました。でも寂しかったんじゃないかなと思います。申し訳なかったと思います」
というご意見もありました。
母親は目標を叶えるために努力する充実感や、個人的な楽しみは諦めて、子供の応援に徹し、家族のために滅私奉公しなくてはいけないのでしょうか。
「母親が仕事ではなく、趣味などの楽しみのために家を空けたり、その間の子供のケアをほかの人に任せるのは、そんなに悪いことなのか」と、さらに考え込んでしまいました。
「楽しいこと」に罪悪感は必要ない
そんな中、こんなご意見もありました。
「母親だからといって、やりたい事全てを犠牲にするのは苦しいですよね。私は子供に、『お友達と遊ぶの大好きでしょ? ママも走るのが好きで仲間も大事。同じだよ』と説明しています」
なるほど! 私もこのご意見に賛成です。
うちの娘たちは今、中高生となり、部活動や友達と遊ぶために、私なしで出かけて家を留守にすることが格段に増えました。昔は私の大会にも応援にきてくれましたが、今は来ません。
子供たちは、親離れへの階段を確実に登っています。あと5年程度で全員、私のもとから巣立つことでしょう。
まだたまに、母の不在を寂しく感じることがあるかもしれませんが、「寂しい勝負」(?)なら、私の勝ちです。
それなのに、私は子供が甘えたくなったときのために、楽しみを我慢して自宅待機をずっと続けないといけないなんて……うん、そうだ、やっぱりおかしな話です。
おまけに、やりたいことはできるときにやっておかないと、今度は親の介護や自分自身の衰えや病気などで、実現が叶わなくなるかもしれません。
子供にしてみたら、「お母さんが自分のために、やりたいことを諦めて、その夢はもう叶わない」となったら、「自分をいつも優先してくれてありがとう」と思うものでしょうか。
私だったらありがたい反面、「もっと、自分の人生を生きてくれてよかったのに」と思います。
子供の立場からもうひとついうと、「いい時間」を持てるのは、なにも母親といるときだけとは限りません。子供のケアを自分ひとりで背負わないいことに、罪悪感を持つ必要はないのでは?
祖父母や父親、保育者、友達やそのご家族など、いろんな人と過ごす時間のなかにも、子供たちの成長にとってプラスとなる出来事があり、かけがえのない思い出が生まれることでしょう。
子供ひとりの時間さえ、好きなことに集中したり、自分と向き合う時間になりえます。
人生を豊かに健康的にする時間をもつ
楽しいことに没頭する趣味の時間や健康のためにカラダを動かす時間、同じ嗜好をもつ仲間との気兼ねない時間は、人生を豊かにしてくれます。
とくに、人と一緒にやるスポーツが中高年のメンタルヘルスに効果的であることは、科学的に証明されています(参照 筑波大学HP)。
子供たちが親離れしたときに、「あなたたちがいないと、何もすることがないわ…」と空の巣症候群(母親業を終えた女性の燃え尽き症候群のような状態)で鬱々するよりは、自分の楽しみがあってニコニコ元気にしているほうが、子供としても安心ではないでしょうか。
……ということを考えた!と娘たちに伝えたところ、
「『寂しい』か、『寂しくないか』の2択なら『寂しい』だけど、『行っていいか』『行くのが嫌か』なら『行ってらっしゃい』だよ、もともと」
とあっさり。あ、そうだったんですか。
というわけで、今後も練習会などにもときどき参加して、健康づくりのためのカラダを動かす時間を仲間と一緒にも楽しみ、気持ちよく子離れしていくことを目指します。
母親は心身ともに元気で笑っているのが、結局は家族のためと考えています。
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