2019年3月11日を迎えました。東日本大震災から8年です。
8年前の14
すると、津波が田んぼをすーーーーーとおおっていく様子が映りました。
波がつぎつぎと家や走っている車を飲み込んでいきます。画面には「LIVE」の文字がありました。「中に、人がいるよね……」誰かがつぶやきました。
原発の事故のこともまもなく報じられ、原発を中心として危険な地域が円で示されました。その円の少し外側、郡山市には私の姉夫妻が住んでいました。
急いで連絡しましたが電話は通じず、メールにも返信がありません。その後、数日間にわたり、姉とは連絡がつかず、とても怖かった。
連絡がついてから、私たち家族は姉に「富山に逃げて」と強く勧めましたが、教師をしている姉は「避難しない生徒たちのために、ここにいる。電話で相談もひっきりなしだし、学校に避難してきている方たちのお世話をしたい」と福島を離れることはありませんでした。
震災後落ち着いてきて、富山に転居して富山で教師を続けることを勧めました。
しかし、姉は「自分の使命は、福島の次代を担う子供たちを育てること」と心を決めていました。姉は、今も福島で教師を続けています。
私は姉を誇りに思い、応援しています。
私も、復興コンサートに参加したり、福島から被災猫を引き取ったり、できることで福島の力になれればと思ってきました。
福島をはじめとする被災地のみなさんと子供たちに、輝かしい未来が訪れますように。ずっと一緒です。
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